今度発売になるフレキシに収録されているgrowについてです。
数年前東京に大型の台風が来て、ポツンと平日がお休みになった日があり、その日にできた曲です。
desksnailは、曲作りの重要な部分を歌詞が占めているのですが、この曲も是非歌詞を聴いてほしいと思う曲のひとつです。
ちょっと長くなりますが、訳とあわせて引用してみたいと思います。
The rain picks up
The building in a blur
The sound is somehow soothing
In my humid room
I remember the friends
We talked about life
The key to happiness
And how to grow less young
Some say they have found
They are satisfied
Some say they are trying to figure out
Some say they are scared
The unknown day to come
Is more unknown than the decades we have lived
I don’t think there is
A Meaning for a life
I think I just want
Reasons for why I am myself tomorrow
雨が強くなる
もやの中の建物
音は不思議と心地よく
私の湿気の部屋で
友達を覚えてる
生きることについて語り合った
幸せの鍵
若くなくなっていくこと
満ち足りていることが
わかったという人もいた
探しているという人も
怖がっている人も
来たるべき未知の日は
生きてきた何十年よりも謎に満ちてる
人生に意味というのはないと思う
明日どうして自分が自分でいるのか
理由が知りたいだけだと思う
特に拘ったメタファーを含んでいるわけでもなく、タイトルの通りの内容です。
歳をとっていくと、感じたことのない感情や新しい感情が生まれて、数年の間でも自分の変化に驚くことがあります。
言葉だけ知っていたけど理解できていなかったもの、愛とか、意思の力とか、も、いつの間にか、感じたことのある経験として心に備わっていたりすることがありませんか。
デンマークに住んでいたとき、友達と人生や幸せについて話し合う場面がよくありました。
意思と強力な自己像を持って画家として大活躍の友人は、30歳くらいになったときに、「今の自分は満ち足りている。そろそろ子供を持つこともできる状態になったと思う」といっていて、今年になったら本当に生まれたての女の子の写真を送ってくれた。
一緒にHolmeparkvejに住んでいたおじいちゃんは、朝からビールを飲んだり、土曜日は魚を料理したり、公園に散歩に連れて行ってくれたり、自分の力が及ぶ範囲を本当によく知っていて、とてもリラックスして生きていた。
デンマークから帰ってきて数年後、この曲を作った当時の僕は新宿の近くで一人暮らしをしていて、音楽活動も特に積極的にはやらず、仕事も特に感慨なく落ち着いていて、このまま言葉にしていない気持ちやどこかに広がっている可能性をなんとなーく無視しながら、だらだらと東京で働いていくのかなという諦めの中に生きていた気がする。
そのときを振り返ると、まだ出会うべき人にも出会っていなくて、地に足がつかないくせに、降り立つ地面を選ぶために空中を漂っているような感じだった。
そのころから見たら、今は全然違うことを考えていると思う。人生で出会うべき大切な人には出会えたし、デンマークにいた時期も幸せだったけど、今の自分の方が好きかな~。
物質的には、人間の体は1年もすれば完全に違う構成要素に入れ替わるようなので、デンマークにいたときと、Growを作曲したときと、今この記事を書いている自分は全く違う生き物なわけです。こうして身体が変わっていくことには気付きもしないのに、経験が思い出になっていくような自分という存在の変化には、曲を作って歌うくらいの感情が付随しているんですね。
誇らしかったり懐かしかったり、ワクワクしたり少し寂しかったりするような、時間とともに変化していくことに対して感じること、言葉では掬えない心の動きを、歌にできてよかったなあと僕は思っているのです。
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